(リ)コンディショニングメモ

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トレーニング 考え方

身体の歪みや左右差は修正するべきか?

2018/08/21

身体の歪みとは?

「身体の歪みを治します」?

「身体の歪み」といった表現を整体の広告などでもよく見かけます。「歪み」ということですから、ある基準から逸脱していることを「歪み」と表現していると捉えることが出来ます。

「身体の左右差」を指すこともあるでしょうし、基本的立位姿勢の理想的なアライメント(「乳様突起ー肩峰ー大転子ー膝関節中心のやや前方ー外果の前」という指標が前額面で垂直線上にあるといった基準)からの逸脱を指すこともあると思います。文脈によって色々あると思います。

「身体の歪みとは何か?」「身体が歪むとどうなるか?」といったことについての共通認識があるとは言えませんし、そのような言葉を使う人もいれば、使わない人もいます。私は後者ですがその言葉自体を毛嫌いしているわけではありません。

操体法と身体の歪み

ただ、共通認識がない言葉を用いても話は噛み合いません。ここでは橋本敬三医師が考案した「操体法」に関する著書から、引用したいと思います。

私たち人間の生命が健康に維持されていくためには、四つの基本的な要素、すなわち息・食・動・想があります。健康とは、この四つのバランスがはかられ、環境に順応できる状態をいう。操体法ではそう考えます。

その四つのバランスがくずれ、環境に順応できなければ健康体は不健康体に傾きだし、そのまま放っておくとやがて疾病体になります。

しかし、疾病体となっても、四つのバランスの回復をはかり、環境に順応しだすと、健康体に向かって戻りはじめ、やがて健康体そのものになります。このことを”健康と疾病の可逆性”といいます。可逆性ーつまり人間のからだは健康と疾病のどちらにでもいったりきたりすることができる、ということです。

操体法とは、この可逆性の仕組みを知って、息・食・動・想のバランスを健康体へ向かって計る手だての総体をいいます。この本では”動”について詳しく紹介していきます。というのも、私たちの不健康や疾病の直接の原因は、からだの歪みからくるものが非常に多いからです。

茂貫雅崇 編 橋本敬三 監修:操体法の実際【愛蔵版】, 18-19. 健康双書, 2005.

引用部分は「身体の歪み」に関して直接的に言及していませんが、このような考え方があることを踏まえておくことで、そのような言葉に出会った時に解釈しやすいかも知れません。

身体の左右差について

何の左右差か?

筋力の左右差、四肢長の左右差、肩峰やASISといったランドマークの高さの左右差…など、左右差と一言で言っても色々あると思います。利き手や利き足といったこともありますし、アスリートなら競技特性によっては左右差が生じやすいこともあるかも知れません。ちなみに、脳機能や内臓といったものは左右対称ではありませんが、ここでは特に触れません。

利き手について

利き手については、例えばエディンバラ利き手テストの項目にあるような、字を書く、絵を描く、ボールを投げるといった動作を行う際の左右の優位性から「右利き」「左利き」「両利き」といった表現を一般的はされると思います。

操作性、巧緻性という観点ではそのような分類になりますし、支持や保持といった機能で考えると、字を書くときに紙を支える側、箸を使う際の茶碗を持つ側、ボールを蹴る時の支持脚としての機能もあります。日常生活やスポーツなど、そのような左右非対称の動作はよくみられます。

歪み・左右差はない方が良いか?

目的と時間・労力の問題

普段、右手で字を書いている人が左手で書くと、多くの場合は効率性が著しく低下します。右投げのピッチャーが左投げでも「試合で通用するレベル」まで練習するとすれば、それだけ時間や労力を要することになりますし、右投げのようなパフォーマンスを発揮出来るようになるかどうかは、実際にはわかりませんし、おそらく難しいことが多いと思います。

単純に投げる側が変わるだけではなく、グローブの扱いも、向く方向(三塁側と一塁側)など、様々なことが変わってきますから、実際には投げる練習以外も行うことが増えることになります。

さすがに「左右差を少なくするべき」と考えている人も、そのような効率性を考えれば、全ての動作を両利きにすることを強いる人は殆どいないと思います。多くの場合は、筋力やアライメントの左右差を指していることが多いと思います。

色々な考え方があって、「左右差はない方が良い」と考えている人もいれば、程度の問題、ケースバイケースと考える人もいるように感じます。

そもそも左右均等な動作ばかりではない

日常生活ですら左右均等な動作ばかりではありませんが、スポーツによってはさらにそれが顕著なこともあります。野球なら右投げ右打ちといったものです。右投げ左打ちだとか、右投げ両打ちといったバリエーションもありますが、両投げ両打ちで同じ回数を打つ投げる、それが全て左右対称的な動作になることは、皆無と言えます。

目的と優先順位

サッカーにしてもシュートを打つ際に得意な蹴り足(脚)があるなど、ボールの扱いが左右で同じということは、それほど多くないのかも知れません。

もちろん、どちらも同じレベルでより高いパフォーマンスを発揮出来るのであれば、それは理想的だと思いますが、時間や労力、また主なポジションなどによっても、難しかったり優先順位が違ってくるのかも知れません。

左右差の許容範囲について

左右対称性が目的ではない

そのように考えていくと、程度に差はあれど、完全な左右対称性を目指すのは難しいと思いますし、左右対称性を求めることが本来の目的になるかと言えば、そうではないとも言えます。

対象者にとっての左右差の意味

考え方としては、左右(非)対称性の程度、いわゆる身体の歪みと表現されているような状態が、対象者にとってどのような意味があるのかを考えて、よりベターなところで折り合いをつけるというスタンスもあると思います。

「適応した状態だからそれで良い」のか?

日常生活やスポーツによって生じたそれらは、「適応した状態だからそれで良い」という観方もありますし、その日常生活やスポーツ動作自体に何らかの修正の余地があると仮定すれば、「適切な動作に適応した状態ではない」という観方もあります。

抽象的で極端な例ですが、身体の仕組みからすれば、決して効率的な動作ではないが、結果的にスポーツで良い成績を収めているというケースだとします。「結果が出ているから良い」のか、「修正の余地がある」のか、色々な考え方があると思います。

「修正の余地がある」ということで、何かを変えた時にパフォーマンスが変わってスポーツの成績が下がるとすれば、それは選手にとってポジティブなことではないと言えます。

しかし、修正しながらもパフォーマンスが変わらない、むしろ上がったり、怪我のリスクが減ることで選手寿命も長くなるということになれば、選手にとってもポジティブなことと言えます。

実際は対象者の状態や置かれた立場、限りある時間、介入する専門職の能力といった様々な要素が関係しますから、「こうするべき」と簡単に言えるものではありません。

ただ、専門職が関わるのであれば、対象者やその関係者の意向も含めて様々な視点から考えた上で、最適解を見出す作業は必要だと思います。

スポーツに適応した状態が健康ではないかも知れない

スポーツは健康的か?

そもそも本格的に行うスポーツは、レクリエーションとは違って健康という観点で言えば、ポジティブな面ばかりではありません。特にアスリートとなれば、いつも万全な状態で試合に臨んでいるわけではありませんし、それでも高いパフォーマンスを発揮することが求められるわけですから、「健康的かどうか」という観点だけでは考えることが出来ません。

日常生活動作への影響

そのような状況の選手に対して、「スポーツに適応した状態だからそれで良い」とは言えないかも知れません。今回のテーマが左右差、いわゆる身体の歪みですから、その観点だけで話をしますが、それが基本動作、日常生活動作の効率性を低下させる、それがスポーツのパフォーマンスの低下を招く、そういった悪循環があるとすれば避けたいところです。

だとすれば、その悪循環を来す可能性のある要素に対して、何らかの介入が必要と言えます。それが、左右差なのか、いわゆる身体の歪みなのかはかわりませんが、何らかの基準・指標となるものを持っておく方が良いと思います。

「適応」は「適切」ではないかも知れない

前にも書きましたが、「適応した状態」が必ずしも「適切な状態」ではない可能性がありますから、「誰でも左右差や歪みはあるから」というだけで、それが及ぼす動作への影響、長期的な予測がないまま、放っておけばよいということではないと考えています。

「身体が特定の動作を行う上で適応した」ということは、ある意味では傾き、偏りが生じているということですから、比喩的な表現ではありますが、反対方向への自由度が低下していると考えることも出来ます。つまり得意な動きがある一方で苦手な動きがあるということです。

左右差とエクササイズやレジスタンストレーニング

身体に注意を向ける機会

体操、ピラティス、エクササイズとしてのヨガ、レジスタンストレーニングなど、姿勢に注意を向ける機会のある身体運動は、左右対称性やいわゆる身体の歪みといった部分に対して、調整する要素があると思います。

日常生活やスポーツでもそうですが、自動化が進んでいる場合は、内的な注意を向ける機会は少ないと思います。これはエクササイズやレジスタンストレーニングでも同じことですが、今回はそれらの視点から考えてみます。

スクワット中の操作

例えばバーベルスクワットなら、バーの傾きや左右の足底の荷重量の知覚など、ある程度の左右対称性が求められます。足底の荷重量だけでなく、足底のどの部分にどの程度の荷重を知覚しているかといった、より繊細な知覚によって、姿勢の調整・修正がなされていきます。

ダンベルを利用する

ダンベルを両手で把持するトレーニングなら、左右の軌道や左右の重量感覚といったものに注意を向けることが出来ますし、同じ重さを扱っているのに何かしらの左右差があるとすれば、姿勢、ダンベルの軌道、筋力といった要素などの差異に気づくこともあると思います。

負荷をかけることによる変化

バーベルやダンベルなどを使用せずとも、このようなことは出来ますが、より負荷をかけることによって明らかになる差異もありますから、どちらが優れているかという話ではありません。

立ち上がり、立位、歩行といった基本動作を見直すこともあるでしょうし、特にいわゆる健常者であれば歩行は左右対称性の要素が強いですから、歩容を確認して介入するということもあると思います。

結果的に左右差が過度にならない取り組み

「左右差」に捕らわれることで、左右差の有無や程度に注意が向き、本来はそれほど重要でないケースであるにも関わらず時間や労力を費やすこともあるかも知れません。

先に例として挙げたエクササイズやレジスタンストレーニング、またウォーミングアップの工夫、普段の姿勢を含む日常生活動作の見直しなどによって、結果的に過度な左右差が生じないようになるかも知れません。

結局は、自分自身の身体に対する意識と、ある程度の自己管理が出来る知識や知恵を持つことで、コンディショニングに繋がることが大切だと思います。専門職が関わるのであれば、そういったことのサポートが必要だと思います。

最後に

「左右差や身体の歪みがあるから良くない」「誰でも左右差や身体の歪みはあるから気にしなくていい」という、どちらも少し極端な話だと思います。

具体的にそれはどのような影響を及ぼしているのか、長期的にみてどのような影響を及ぼし得るのか、ポジティブな側面とネガティブな側面、対象者の状態やおかれた立場など、目標や目的を明確にして、現実的でよりベターな折り合いをつけるということが必要だと思います。

理学療法の対象者として切断の患者さんもいますが、例えば右上肢切断の患者さんが、見た目は体幹をニュートラルにして座っていたり立ったりしていても、筋活動は左右差が生じていると考えられます。

だからと言って、筋活動の左右差をなくそうとすることは、本来の目的にはなり得ないと思います。ただそのような左右差が生じていることを頭に入れておくことで、身体や動作を考える上で参考になります。

そのように、「左右差や身体の歪み」が良い悪いという話ではありませんから、姿勢評価と謳って「身体の歪みを改善しましょう」と簡単に言えるものではないと思います。

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