(リ)コンディショニングメモ

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トレーニング 考え方

武井壮さんのトレーニングに対する考え方と様々な反応について

2018/08/21

武井壮さんのツイートをめぐって

ツイッターで武井壮さんのツイートについて、盛り上がりを見せていました。そのツイートを紹介しながら、個人的な感想を加えてみます。

動画に対する指摘から?

あくまで個人的な解釈ですが、このツイートから感じるのは、「外野が分かったようにいちいち指摘してくるのはどうなのよ?」っていう武井さんの感想かなと。後半は個人的にはポイントではありません。個人的にはです。

何について誰がどのような指摘をしているのかは分かりませんが、指摘やアドバイスというのは、本来なら対象者の目的や、どのような意図、どのような感覚で行なっているかなど、ひとつひとつ丁寧に確認していく必要があります。

そもそもアドバイスを求めていないのに、見ず知らずの外野があれこれ指摘してきても…ということかも知れません。

まあ、指摘している人はトレーニングの専門職ではないケースもあるでしょうから、例えばプロ野球の試合を観ながらテレビに向かってあれこれ言いながらも楽しむ感覚かも知れませんし、ツイッターというツールを考えると、色々な反応があるのは自然とも言えると思います。

ただし、トレーニングなどの専門職がそれを行うというのは、話は違ってくるように思います。詳しく知らないのにというのもありますが、礼儀としても。

トレーニングの捉え方

これは色々な解釈があると思います。『実際の動きに近い動作に負荷をかけて強化してる』という部分を、例えば、スポーツ動作そのものに負荷をかけるという解釈もあれば、課題とする動作の局面で得られる感覚を強調するような負荷のかけ方という解釈もあると思います。

前者は否定的な意見が多いですが、後者に関しては、特定の筋力やパワーを効率的・効果的に向上させるというよりも、課題とする動作の局面で、「もっとこの瞬間に力を出す感覚を得たい」といった、ファシリテーションもしくはアクチベーション的な位置づけ、新たな運動イメージの鮮明化など、いわゆる筋力やパワーの底上げという目的とはまた違った目的があるかも知れません。

武井さん本人はこの一連のツイートに関しては、「レジスタンストレーニング」「筋力トレーニング」ではなく、「トレーニング」と表現されています。トレーニングの意味は色々あるので、武井さんの指すトレーニングは、専門職が認識しているレジスタンストレーニングや筋力トレーニングではないと捉えることも出来ます。

実際に、このツイートの後半には、『1つの筋肉に重さをかけず動く練習なのよ』と書かれていますね。その視点はレジスタンストレーニングにおいてもあるでしょうけど、何に重きをおいて行っているかということが伺えます。

そもそも最初に『オレのトレーニングは~』と書いてありますから、「トレーニングとは?」という話をしているわけではないと思います。

モーターコントロール?

このツイートを読んだ時に、恐らく筋力やパワーといった要素以外の視点を持っておられるんだなと感じました。時々、「ベースとなる筋力やパワー」といった表現を見かけますが、ベースとは何のベースかという前提が不明確なことがあると感じます。

いわゆるモーターコントロール(運動制御)という視点で考えると、筋力やパワーといった要素はあくまで数ある要素のひとつですから、「ベースとなる筋力やパワー」と強調するには、相応の文脈の中で使用されるものだと考えています。

「筋力がなければ~」という極端な話を持ち出すとすれば、その他の要素についても同じようなことが言えるわけですから、あまり建設的ではないように思います。

運動調整能力?

「運動調整能力」は、あまり聞きなれない言葉かも知れませんが、マトヴェーエフ博士の著書には次のように説明されています。

1) ある目的に従っていくつかの運動を調整する能力(それらを調整し、ある運動を別の運動に従わせて一つの全体に組織する能力)。これはいくつかの新しい運動を行って再現する場合である。

2) 運動の調整の仕方を変える能力。これはいったん習得した運動のパラメータを変更しなければならない場合。あるいは運動を行う条件が変化したため運動の仕方を変えなければならない場合である。

L.P.マトヴェーエフ著, 魚住廣信監訳, 佐藤雄亮訳:ロシア体育・スポーツトレーニングの理論と方法論, 188. NAP Limited, 2008.

これだけだと少し分かりにくいですが、新しい運動をどれほどうまく習得できるか、習得した運動をどれくらいレベルアップ出来るかという能力を指しています。

運動調整能力の最も重要な要因は、何だろうか。これは生理学の立場からすると、当然神経中枢ということになる。つまり、その調整能力(身体を調和させる能力)である。

~中略~

運動調整能力は次の要因に多くの点で規定される。

1) 運動のコントロールにかかわる感覚器官がどれほど機能しているか。

2) 運動器官の機能を調整する神経系・筋系がどういう状態にあるか。

3) 運動の経験がどれほど蓄積されているか。

L.P.マトヴェーエフ著, 魚住廣信監訳, 佐藤雄亮訳:ロシア体育・スポーツトレーニングの理論と方法論, 189. NAP Limited, 2008.

これを参考にすると、運動調整能力という概念も、いくつかの要因で規定されていることがわかります。モーターコントロールにしろ、運動調整能力にしろ、身体を意のままに動かすという視点で考えると、ひとつの要素で考えることは出来ません。

レジスタンストレーニングも身体操作だ

「筋トレしても身体を上手く使えない」などという話を今でも時折見聞きします。しかしながら、身体の使い方が大事といっても、レジスタンストレーニングも身体を操作するわけですから、別々の話ではないという考え方もあります。

ですから、モーターコントロール、運動調整能力はレジスタンストレーニングにおいても、関係する話です。こういった話題に関しては過去に触れましたので省略します。

あるに越したことない

筋力やパワーはあるに越したことないですが、「どのレベルのパフォーマンス(スポーツなどの)に達するためには、どの程度の筋力やパワーが必要なのか」という指標がなければ、「あるに越したことない」ことにどれくらいの時間と労力を費やすかということを考えるのが難しいこともあると思います。

「あるに越したことないこと」と「具体的な課題となるスキルの向上」を天秤にかけるケースがあるとすれば、後者を選択することが多いかも知れません。「どっちもやればええやん」が可能なら、そうすれば良いかも知れません。

これは筋力やパワーはそれほど要らないという意味ではもちろんありません。限られた時間をどのように使うのかということは、ケースによって違ってくるということです。

レジスタンストレーニングを考えると、傷害予防の観点もあるでしょうし、筋力やパワーといった要素だけではないということは付け加えておきます。

養成した筋力やパワーをスポーツなどの動作に汎化する

ここが個人的には一番の課題だと思っています。例えばレジスタンストレーニングはレジスタンストレーニングとしてきっちりする、スポーツの練習はスポーツの練習としてきっちりする、そうすればいずれ汎化する…かどうか。

これは競技によってもその程度などは違ってくるかも知れません。この辺りに触れるとかなり長くなりますし、難しいことも多いのでここではあまり触れません。現場では競技コーチやS&Cコーチの腕の見せ所といった部分だと思います。

とりあえず一例を挙げるとすれば、レジスタンストレーニングと実際のスポーツの橋渡しという発想として、いわゆるファンクショナルトレーニングを挙げているケースもあると思います。

ただファンクショナルトレーニングとは何かということについては、商品化、形骸化しているようなケースがあったり、明確な定義づけをしようとされているケースがある一方で、共通認識がないまま名称だけが独り歩きしているようなケースも見受けられます。

あくまで個人的な解釈ですが、武井さんはご自身がより効率的・効果的にスポーツなどのパフォーマンスのレベルアップを図る、運動調整能力のレベルアップを図るという目的のために、『実際の動きに近い動作に負荷をかけて強化してる』という取り組みが効率的・効果的であると感じておられるかも知れません。

専門職の視点や立場

細かな内容についてというよりも、ざっくりと個人的な解釈で言えば、基本と応用、個別性の原則、目的と手段ということだと思います。

武井さんはトレーニング指導の専門職ではありませんから、専門職の方々からすれば気になる点もあるかも知れませんが、個人的にはこのようにざっくりと解釈すれば、論理的に破綻したことを仰っているわけでもないと思います。

細かな点を取り上げていくと、どんなことでも引っかかるわけですけど、その人の目的や課題、どのように考えて、何を感じ、どのような取り組みをしているのかといったことを汲み取ろうする姿勢は、専門職として必要なことだと考えています。

「レジスタンストレーニングは必要ない・むしろ有害だ」といった話でもないですし、著名な人の影響力は気になるところではあると思いますが、百獣の王を名乗る男ですからね。我が道を進みながら魅せるパフォーマンスを発揮する立場にあるわけです。たぶん。

最後に

本来は対象者の個別性を考慮する必要があるわけですから、その領域の専門性と照らし合わせて、その誤差について一方的に指摘するというのは違和感があります。

様々な種目を設定し、いわゆるエビデンスに基づいたトレーニングに取り組んだ挑戦者が、百獣の王に挑むといった企画を考えるくらいの遊び心はあって良いのではないでしょうか(適当)。

※今回の記事はあくまで個人的な解釈に過ぎず、色々な視点で考えてみたことを言語化したものです。

【参考記事】

-トレーニング, 考え方