(リ)コンディショニングメモ

主にトレーニング、理学療法、リハビリテーションに関することについて。理学療法士が管理しています。

考え方 雑感

「BIG3をやるべき?」~何を言うのかではなく、誰が言うのか?~

2018/08/21

個々の意見や考え方

一概に「正しい」「間違っている」とは言えない

様々な考え方や意見があるのは当然であって、個々の意見や考え方自体を一概に「正しい」「間違っている」とは言えません。

明らかに有害なものを有益であると主張する、例えば致死量の毒物を「(メタファーではなく)これは長寿の薬です」といったデタラメは別ですが、これは知識やリテラシーの問題かも知れません。

個々の意見や考え方も、具体的なケースに当てはめて、ある視点から観た時に、「正しい」「間違っている」とは言えなくても、「適切」「不適切」といったことは言えることもあると思います。

「何を言うのかではなく、誰が言うのか」?

「これをやるべき」といった話も、具体的な文脈があってこそで、それを鵜呑みにして全て取り入れようとするのは、現実的ではありません。しかしながら、大御所やカリスマと呼ばれる人がいるとして、そういった人や著名人の発言は、「もっともらしさ」を感じやすいように思います。

ただ、そういう位置づけにあるのであれば、何らかの実績、見識があるからということも十分あり得るわけですから、ただのルサンチマンのように「そんなの関係ねえ」と頭ごなしに否定するのは賢明とは言えない気がします。

「何を言うのかではなく、誰が言うのか」という話はよく見聞きしますが、こういったケースに当てはまるんでしょうね。確かに、ある専門分野の話において、同じ内容でも専門家とそうでない人では、影響力は違うと思いますし、同じ専門家でも違ってくるかも知れません。

例えば、「レジスタンストレーニングにおいて、BIG3は優先順位が高くなることが多い」という内容でも、多くの経験、様々な選択肢、試行錯誤の繰り返し、そういったプロセスを経ての発言と、「○○さんが言ってたから」という理由による発言では、背景が全く違いますから質も異なると言えます。

発言は同じでも、実際の現場においての適応力、応用力が全く違ってくると思います。乱暴な書き方をすれば(そもそも勝手に創った物語ですけど)、前者は柔軟性があってよりベターな選択を考え、後者はどこかに「BIG3ありき」という思考があるかも知れません。

ただし、経験だとか年齢だとか有名かどうかなど関係なく、内容そのものを捉える姿勢というのも大事だと思います。内容は妥当であるにも関わらず、「経験が浅いくせに」「お前が言うな」という指摘は、建設的ではないですし、そういう指摘をする人は特定の誰かを妄信しているかも知れません(個人の感想)。

影響力のある人の発言

「○○先生の話は深い」のか?

もしそうだとすれば、妄信している誰かが変なことを言ってても、「正しい」「深い話」と受け入れたり、「○○さんが言うからには何か背景があるに違いない」と、実際は根拠に乏しいことでも肯定的に受け入れるかも知れません。それが良い悪いという話ではないですが、そういうことはあると思います。

「○○さんが言うからには何か背景があるに違いない」と書きましたが、○○さんでなくても、背景を読み取ろうとするのは大事だと思います。個人的には、「何を言うのかではなく、誰が言うのか」という側面はあるでしょうけど、誰であれ、「何を言わんとしているのか」を考えるのは大事だと思います。

これは一方的ではなくお互いにというのが理想的なんでしょうけど、実際は「背景を読み取れ」「行間を読め」みたいなこともあります。上下関係の意識が強いとそうなりやすいように感じます。

全部やるのは無理

世の中にはたくさん有能な人がいますし、と言うよりも自分にはないものを持っているという意味では、自分自身という基準からすれば他人はみんな有能だと言えます。ただ、自分自身の志向性によって見えやすいもの、優先順位が違ってくるのかも知れません。

そういう意味において、個人的には、「この人の、そういうところが凄いなー」と感じる人は、仕事に関係なくたくさんいます。ただ、その「凄いなー」という部分を全部自分に取り入れることは出来ませんし、何らかの影響は受けるにしても、取り入れる必要もないことも多いと考えています。

「凄いなー」と思う人が、「これをやるべき」と言ってるからといって、それを全て実践することは出来ません。「臨床を全力でやるべき」「研究をするべき」「論文を書くべき」「経営を勉強するべき」「留学するべき」「専門を決めるべき」「色んな職場で働くべき」…。

聞く耳を持たないというのでは、独り善がりになったり、自分自身のより良いを目指すにあたって、必要なものを逃すこともあるかも知れませんから、「批判は無視しろ」といった類の話ではありません。

ただ、「○○をしていない」からといって、「何もしていない」わけではないはずです。それぞれに立場と役割があって、その中でやるべきことをする、その中でできることを増やしていくことが大事だと思います。そういった中で身のまわり、社会に対して、個々の強み・組織としての強み・協力し合うことで生まれる強みを創り出して還元することが理想的かと思います。

多様性と発展

下の階層を揃える必要はない

「〇〇をやるべき」の〇〇という手段は、戦略の階層で言えば、下の階層に位置することが多いと思いますが、下の階層で争っていても仕方ないので、例えば職能団体という視点においては、上の階層の共有が必要だと思います。

抽象度を上げてみると、例えばどんな国を目指していくか、どんな社会を目指していくか、そのために職能団体としてはどのような貢献が出来るか、そういったことを考えると(それを共有するのは難しいとは思いますが)、特定のアプローチの対立だとか、手段に過ぎない「〇〇をやるべき」という話を、表面だけで議論しても発展性があまりないかも知れません。

最低限やるべきことはある

最低限やるべきことという表現は、それぞれによって基準が違うと思いますが、最低限やるべきことをやっていないということがあれば、それはやるべきだということになるとは思います。それが何なのかを考えていくと、長くなりそうなので機会があれば書こうと思います。

最後に

「○○をやるべき」というのは、結局のところ目的と手段の話です。全て実践できるわけではないでしょうし、自分自身の課題が明確なのであれば、振り回されることもないかも知れません(個人的にはふらふらしていることもあります)。

苦労や努力して何かを成し遂げたとして、それを根拠に「○○をやるべき」と主張していることもあるかも知れませんが、仮にそうだとしても実際にそれによって得られた有益なものはあるはずなので、そのように主張する背景を考えれば何かヒントはあると思います。

そのことによって、「確かに私は○○をやるべきだな」と考えるかも知れませんし、「なるほど、それなら違う手段でも良いな」と思いつくかも知れません。何でもかんでも考えを廻らせるのは現実的ではないですが、最初から否定して突っぱねることで、逃すこともあるのではという話です。

【参考文献】

-考え方, 雑感