(リ)コンディショニングメモ

主にトレーニング、理学療法、リハビリテーションに関することについて。理学療法士が書いています。

指導関連 考え方

#40 「機能だけを観るな」というセリフについて

2017/09/17

現代を生きるリハビリテーション専門家は、自らがリハビリテーション思想の意味をどのように解釈してきたかを問いかける必要がある。リハビリテーション思想は全人間的復権をスローガンにしたリハビリテーション医療として体系化されてきた。それは戦後民主主義の潮流と一致していた。

このリハビリテーション思想が誤っているわけではない。本質的な誤りは、その後のリハビリテーション専門家がリハビリテーション思想をリハビリテーション治療の理論であるかのように錯覚あるいは解釈した点にある。

宮本省三著,リハビリテーションルネサンス,38.春秋社,2006.

対象者の活動や参加といった視点はもちろん不可欠ではありますが、運動機能は改善しないものとして、もしくは改善しようともせずに、「活動」「参加」が重要だと説いているのがセラピストであるなら、別の専門職でよいのかも知れません。

もちろんどうしようもないことはあるとしても、自身の世界が狭いが故にどうしようもないと思い込んでいるのであれば、対象者にとって不幸なことだと言えます。

リハビリテーション思想には「最大限の運動機能回復を図る」という前提があったはずである。その患者との暗黙の約束が守られていない。

それは時代の要請なのか、医療費の削減を求める政府の方針なのか、誰かが描いたシナリオなのか、偶然なのか必然なのか、効果的な運動療法が存在しないからなのか。患者の運動機能回復訓練を受ける権利はないのか、セラピストに運動機能回復訓練を行う責務はないのか、治療の限界というのはいったい誰が決めたのか。

宮本省三著,リハビリテーションルネサンス,39.春秋社,2006.

「機能だけを観るな」という批判はもっともだと思いますが、「機能を観る」こと自体は否定されるものではないはずです。ICFを例に考えても、構成要素間の相互関係をイメージしているか、していないかということことだと思います。

時間などの様々な制約があるために、折り合いをつける必要があるのは当然ですが、機能に対してアプローチすることを放棄するのであれば、宮本先生の仰る「運動機能回復訓練を行う責務」を果たそうとしていないと言えるのかも知れません。

繰り返しますが、どうしようもないことはあると思います。現時点ではどうしようもないことに労力を費やして、現実的に準備可能な必要なことが疎かになってしまうと、それこそ「機能だけを観るな」という批判を受けて然りだと言えます。

一方で、セラピストが違うなど介入方法が違えば、「どうしようもないことではなくなる」というケースもあると思います。例えば、新人とベテランでは、そのようなことが起こっても不思議ではありません。

実際は現実的な折り合いをつける作業が必要ですが、並行して「本当にどうしようもないのか?」という自問自答と、何らかの糸口を見つけようとする作業も大切だと思います。いつまでも「それは、どうしようもないことだ」で片づけていては、本当はどうしようもないことではないけど、どうしようもないと思い込んでしまうかも知れません。

思い込むことは思考停止と言えますが、「それは、どうしようもないことではないかも知れない」と保留しておくことで、ふとアンテナに引っかかることがあるかも知れません。幸いにも諦めの悪い実力のある人達がたくさんいますから、狭い世界に留まって分かった風に諦めないようにしたいと思います。

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