(リ)コンディショニングメモ

主にトレーニング、理学療法、リハビリテーションに関することについて。理学療法士が書いています。

考え方

#80 理学療法士は報われない仕事?

ある先生のエピソード

養成校時代に、講義である先生から臨床でのエピソードを聴きました。

とある脳卒中の患者さんを担当していて、試行錯誤しながら患者さんとともに取り組み、歩けなかった患者さんが歩けるようになった。

「○○さん、歩けるようになって良かったですね」と、その先生が話しかけると、「元通りになっていないので、全然良くないです」という答えが返ってきた。

その言葉が印象的で、今もずっとそのことについて考えているというお話でした。

このエピソードを聴いて、色々なことが浮かぶと思います。「そうか、元通りに出来る理学療法士になろう」「それは仕方ないでしょう」「関わり方によって、返答は変わってくるのでは?」「そもそも元通りって何?」…その他、たくさんの視点があると思います。

当時、この話を聴いてどう思ったのか、正直あまり覚えていません。ただ、学生に対してこのようなエピソードを話すのは、自分を出来るように思わせようとしない先生だなと思ったことは覚えています。

今思うことは、このような経験をしたとしたら、空虚感を感じるかも知れないなということです。しかし、個人的には、「歩けるようになって良かったですね」という問い掛けはしないので、同じようなやりとりを経験することはないかも知れません。それについては後で触れます。

マイナスから抜け出すことは難しい?

どのような分野で働いているかによっても、話は違ってくると思いますが、例えば病院で働いていると、受傷、発症前の動作能力を上回るケースはあるにしても、そうでないことも多くあります。

例えば、TKAやTHAによって除痛、関節可動域の改善といった様々な要因によって、術前よりも動作能力が向上することはよくあります。

一方で、例えば、脊髄損傷で完全麻痺であれば、現在の医学では回復させるのは困難です。残存機能を活かした動作の獲得、ツールの利用、環境を変える(サービスの利用なども含む)といった取り組みが必要になります。

中枢疾患であれ整形疾患であれ、「元に戻る」ということはなく、新たに構築していく、新たに学習していくといったプロセスと考える方が適切かと思います。神経難病のような進行性の疾患であれば、また違った視点が必要になるかも知れません。

仮に、代償動作、ツールの活用、環境調整なしに、受傷、発症前の動作能力と同じになることを「元に戻る」とし、そうでない場合はマイナスであると定義すると、多くのケースでは、セラピストはマイナスからゼロの間の成果の中で評価されるということになります。

脳損傷の程度に関わらず、脊髄損傷が不全か完全かに関わらず、「元に戻して」やっとゼロの仕事ということになります。これはあくまでも仮の定義ですが、この定義だと、臨床のセラピストはかなり厳しいと感じると思います。

しかし現実には、「元に戻って」いなくても、対象者やご家族から感謝されることもあります。それには、それぞれのケースによって様々な理由があると思います。

動作そのものではなく、その先の目的という観点もありますし、受傷や発症によって、描いていた未来に修正を迫られたものの、新たな未来を描くことが出来たといったこともあると思います。

感謝されるということ

さて、最初の方で、『個人的には、「歩けるようになって良かったですね」という問い掛けはしない』と書きました。これは、「元に戻していない(便宜的な表現)」ということもありますし、、「元以上(便宜的な表現)」になったと感じているとしても、良かったと感じるかどうかは、対象者側の話ということも理由のひとつです。

患者さんを担当する時に、カルテで事前に情報を得る際、現実の厳しいエピソードが並んでいることがあります。初対面の時に、「どんな感じで入って行こうか…」と、一呼吸置くこともしばしばあります。

そのような患者さんが、前向きになってきたり、感謝の言葉を述べられると、自身の理学療法云々ではなく、(心の底からではないかも知れませんが)「良かった」(少し安心したというニュアンスが含まれています)という気持ちになります。これは「歩けるようになって良かったですね」というニュアンスとは違うわけです。

そして、自身の専門である理学療法を顧みた時に、到底満足のいくものではないことを改めて認識するわけですから、そこは「良かったです」とは思えません。そのように考えると、仕事の満足ってあるものなのかという気持ちにもなります。

しかし、不満があるから、それが原動力となるとも言えるわけで、こうしたことを繰り返していくことは自然なプロセスなのかも知れないとも思います。

ひとりで抱え込まないためのチーム

真面目な人ほど、無力感にさいなまれて疲弊していく可能性も高いように思います。そのような人に対して、「自己研鑚が足りない」などと言ったところで、救えないのではと思います。

セラピストは数十分続けて、対象者と関わる仕事であり、対象者の不安や不満や恐怖感など、内に秘めたものに触れることも多いと感じています。「家族のように寄り添う」という言葉を実践しようとして、果たして心身が持つのかというくらい、大変な想いをしている人とたくさん関わります。

ですから、より質の高いサポートを実現するためのチームという観点だけでなく、ひとりで抱え込まないためのチームという観点も必要だと思います。

実習生も同様で、「勉強が足りない」「技術が未熟だ」「考察がなってない」ということばかり指摘されていては、孤独や無力感にさいなまれるかも知れません。「大変なこともたくさんあるけど、色んな人に相談したり頼ったらええんやで」ということを伝えることは大事なことだと思います。

こんなことを書いていると、講習会でたくさん集まっている人の中には、孤独や無力感を感じている人もいるのかも知れないなとふと思いました。

まとめ

タイトルは理学療法士ですが、それは私自身が理学療法士だからであって、作業療法士、言語聴覚士、その他の職種を当てはめても共通したことはあるかも知れません。

例えば、病院の場合は、自ら望んで楽しく入院している人は割合としてはかなり少ないでしょうし、出来ることなら病院の世話になりたくないと考えている人が殆どだと思います。

そして、オーダーが出るケースは、「元に戻る」「元よりも良くなる」ケースばかりではありません。そういった中で、ネガティブな要素ばかりに捕らわれず、またそれをひとりで抱え込まず、ポジティブな要素を少しでも見出すことが出来れば、少しずつ進歩出来るかも知れないと考えています。

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