(リ)コンディショニングメモ

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理学療法士+αの資格を取得することについて

2018/08/23

はじめに

個人的な話から始めますが、元々は理学療法士として働いていたわけではなく、トレーニングジムでのトレーニング指導と子供~大人を対象とした水泳指導の仕事をしていました。

そのいくつかの職場では、それらの仕事をする上で必須の資格はありませんでしたが、NSCAやACSMなど仕事に関連があるようなものをいくつか取得していました。

大学は体育学部ではなかったので、ある程度学んでいる証明になればという理由もありましたが、単純に面白いと感じたというのが大きいと思います。

その後、理学療法士の養成校に入ろうと思った理由は、いくつかあったと思いますが、ここでは特にポイントにはならないので特に触れません。

理学療法士+αの資格

さて、理学療法士+αの資格を取得するケースというのはよくある話です。理由はそれぞれ違うはずですし、何が良い悪いという話ではありません。

中には養成校に入学して、看護師、作業療法士、言語聴覚士、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師、柔道整復師などの国家資格を取得する人もいます。数年間学校に通うことになりますし、場合によっては常勤の理学療法士として働くことが難しいこともあると思います。

理学療法士が自身の臨床に関連する民間の資格を取得するケースとは違って、オーバーラップする部分はあるにしても、別の専門性を学ぶことになります。そのことによって視野が広がる、視点が増える、知識や技術が増えるといったメリットはあると思います。

時間は有限

時間は限られていますから、単純に足し算で考えられないかも知れません。つまり、別の専門性について勉強する時間を確保するために、理学療法士の専門性について勉強する時間が減るかも知れません。

例えば、病院で理学療法士として勤務していて、鍼灸の勉強をするとすれば、実際の臨床では鍼灸を用いることは出来ないわけですから、現状の臨床に直接的には活かせないと言えます(ここで指す直接的とは、実際に患者さんに鍼灸を用いることです)。

人間を対象にしていると考えると、オーバーラップしている部分はあるとしても、鍼灸について勉強する時間を確保することで、自身の臨床を顧みて勉強したり練習する時間が短くなるかも知れません。

また既存の知識や考え方が、無意識に新しい知識や技術の習得を阻害することも考えられます。ただし、既存の知識や考え方を完全に取り除くということは困難だと思いますし、それがネガティブに作用するケースばかりではないと思います。

「資格=出来る」ではない

個人的には、例えば鍼灸は面白そうだと興味はありますが、実際に学校に通うつもりはありません。臨床する中でまだまだやるべきことがたくさんありますし、面白いと思えることもたくさんあるので、限りある時間とお金を考えれば選択肢に入ってきません。

また、鍼灸を勉強するのであれば、一流の技術を身につけたいと思うでしょうから、理学療法士+ペーパー鍼灸師みたいな状態にはなりたくないということもあります(実現しない仮定の話なので、そもそも不毛な話なのですが)。

こういう話は、個人的な立場でこう考えるという域を越えないので、「こうあるべき」と考えているわけでもありません。

入谷式足底板の故入谷誠先生は、理学療法士と鍼灸師の資格を持っておられました。理学療法士と鍼灸師の資格を持っていたら、あんなことが出来るのかというと、もちろんそういうわけではありません。

結局のところ、何が出来るかということは、資格だけでは説明することは出来ません。免許と法律の話、つまりやって良いか駄目かということはまた別ですが。

立場や環境の違い

理学療法士ではなく看護師の仕事をしたいというケースも当然考えられます。看護師として働きたいのであれば、看護師の学校に通うのはごく自然な選択となります。

また例えば、パーソナルトレーナーとして活動するのであれば、契約するクラブの指定する資格を取得する必要があることもありますが、国家資格が必須というケースはあまり聞きません。

時々、「理学療法士の枠に捕らわれない」「理学療法士の肩書きに捕らわれない」といったセリフを見聞きしますが、理学療法士として雇用されているのであれば、理学療法士だと思います。ニュアンスとしてはわかる気もしますが。

ただ、パーソナルトレーナーとして活動するのであれば、理学療法士の枠とか肩書きとか関係ないかも知れません。特に資格を持っていなくても、実力があって売れてる人もいます。

最後に

今回の+αを資格として話をしましたが、他の何かに置き換えることも出来ると思います。+αをすることは、足し算というわけではないと思います。+αをしない分、時間を確保出来るということもあります。

結局は何がしたいか、どうなりたいか、何に興味があるかなどといった、個々の志向性が大きいと思います。デタラメやトンデモは問題外だとしても、多様性はあって然るべきだと思います。

それが交わることで新たなものが生まれるかも知れませんし、対象者からしてみれば、選択肢が増え、より適切な手段を見出す可能性も高まるかも知れません。選択肢が多いことで、選択が困難になるという別の問題が生まれることも考えられますが。

優劣に振り分ける必要はなく、多様性を可能性の幅として捉え、自身の選択と取り組みを楽しめるような余裕は持っていた方が面白いと個人的には考えています。

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