(リ)コンディショニングメモ

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指導関連 考え方

#83 体罰は指導の一環か?

2017/09/17

最近ニュースでも話題になった体罰について、あまり見かけなくなったこの時期に書いてみたいと思います。

結果的にはどちらも体罰

「言うことを聞かないから体罰を与える」ということと、「咄嗟に手をあげてしまった」では、結果的には同じ体罰だとしても、全てが同じとは言えないと思います。

前者は、体罰によって思考や行動をコントロールしようとする意図があり、後者は何かしらの誘引があり冷静な判断に欠けた行動と言えるかも知れません。

後者に関して、具体的な事例を挙げます。ある生徒が他の生徒に対して、著しく倫理的に問題のある発言を浴びせ、それを聞いていた教師がつい手をあげてしまったというケースです。

発言を浴びた生徒の精神的な苦痛を想像し、教師が感情的になり、つい手をあげたということです。

こういうケースだと、手をあげることに正当な理由があると言いたいわけではありません。倫理的に問題のある発言に怒りを覚えた、発言を受けた生徒を傷付けたくないという想いと、発言した生徒に手をあげることは別であるという視点も必要だと思います。

しかしだからと言って、個人的には、この教師の行動に対して、「体罰を与えた許せない教師だ」とは思いません。

結果的に体罰となった行動自体は肯定しませんが、その誘引についても考える必要があると思いますし、こういうケースではどうするのが良いのか、こういうケースを防ぐためにはどうするのが良いのか、そういったことについて考える必要があると思います。

ダメなものはダメで終了?

「体罰は許されない。だから体罰を行った教師は許せない。」という考えも当然あると思いますが、それで体罰がなくなれば良いのですが、頭では確かにダメなことと認識していれば、必ずそれをしないのかと言えば、そうとは言えないことは体罰に限らずあるはずです。

様々なニュースを観て、「そんなアホなこと私はしない」と考えるのか、その背景を色々想像して「私も気をつけよう」と考えるのかでは、今後の行動が変わるかも知れません。

交通事故にしても、「安全運転しないから悪い」と考えるのか、「私も気をつけよう」と考えるのかでは、これからの運転が違うかも知れません。飲酒運転とか意図的な危険運転などであれば、後者のような感想にならない人も多いかも知れませんが。

臨床で考えてみる

臨床で考えると、様々なインシデントいわゆるヒヤリハットやアクシデントの報告に対しての感想が、「そんなアホなこと私はしない」と「私も気をつけよう」だと、前者の方がやらかしそうな気がします。

また、臨床で体罰を行っている人はゼロだと思いたいですが、イライラした経験が全くない人はどれほど居るのでしょうか。そのイライラは不甲斐ない自分自身や、全く別件に由来したものであっても、ポジティブとは言えない感情を抱きつつ臨床を行うことはあるかも知れません。

それを態度に出すか出さないかは、大きな分かれ目にもなると思います。そういったコントロールが上手い人もいれば、そうではない人もいると思います。ただ、イライラした感情が、効果やリスク管理の面でポジティブに働くのかと言えば、そうとは言えないと考えています。

コントロール出来るようになりたいと考えている人がいるとして、「コントロール出来ないなんてプロ失格だ」と一蹴されたところで、何が解決するのかということです。

体罰の話に戻ります

体罰の話は昔から議論されてきたことであり、一言で言えることではありません。ですから、この記事で何かしらの結論を出すことも困難です。

ただ、どんな理由であれ体罰は受けた側にも心身に影響を与える可能性があります。ですから、体罰自体に対しては否定的な意見です。

思い返せば、中学生の頃まではいわゆる体罰を受けた経験がありますが、「まあ俺が悪かったわな」と思っていましたし、当時はそれをネタに話をしていたわけですが、これはあくまでも個人的な経験であり、「だから必要な体罰もある」とは思っていません。

朝礼に遅れたらグラウンドを走る、忘れ物をしたらケツを叩かれる、そういった類のペナルティー、体罰を、「うわー最悪やー」と言いながら半分楽しむ人もいれば、心身ともに苦痛を伴う人もいると思います。

「私も経験したが、それはそれで良かった」という個人的な感想は誰も否定出来ませんが、「だから必要な体罰もある」というのは、話が飛躍しています。その体罰によっては、取り返しのつかない事態を招く可能性があるという想像力は必要だと思います。

まとめ

良い悪い、必要不必要、正しい間違っている、そういった二元論的な議論だけがなされても、結局は個々のポリシーレベルの話に終始して、議論は平行線になるだけかも知れません。

例え、自分自身と違っても、他者の考え方を知ろうとする、立場を想像してみる、そういった作業が必要だと考えています。

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